アメリカが誇る霧の乙女号の歴史

紀元前11,000年に最後の氷河が溶け流れ、ナイアガラの滝が誕生しました。時を経て1846年に最初の遊覧船が進水し、このアトラクションが始まりました。

次の年代をチェック:
1846年
1846年

1846年 : 処女航海

これ以前は滝の下流を手漕ぎ舟で行き来していましたが、ある起業家が旅客・貨物の輸送需要に着目し大型船を導入。初代の蒸気船は馬や駅馬車も運べるほどの大きさで、「霧の乙女号」と命名されました。1848年に吊り橋が建設され輸送業が衰退すると、霧の乙女号は観光船に姿を変え今日に至ります。

1846~1854年 :

初代の霧の乙女号は煙突が2本ある外輪式蒸気船で、壮大なナイアガラを自在に往来していました

1846~1854年
1854~1860年

1854~1860年 :

2代目の霧の乙女号は全長22メートル、幅5メートル、煙突1本の外輪式汽船でした。

1861年
1861年

1861年 : ロビンソン船長の渡航伝説

南北戦争勃発の緊張に包まれる中、財政難に陥った霧の乙女号の船主、W・O・ブキャナンは汽船をオークションにかけることを決心。モントリオールのある企業が船をオンタリオ湖まで届けるという条件で購入に合意しますが、巨大な渦や急流、5キロにおよぶ荒波に経験豊かな船乗りさえも尻込みしたため、ジョエル・B・ロビンソン船長がみずから舵を取ることになりました。霧の乙女号は難破の危機を乗り越え、無事にクイーンストンまで届けられました。

1885年

1885年 : 霧の乙女号の再起

1861年の売却後は再び手漕ぎ舟で運航していましたが、1885年にR・F・カーターとフランク・ルブロンの投資により新しい霧の乙女号が建造されました。1885年6月13日に進水式が行われ、カナダ滝の間近に迫るツアーが開始されました。この試みは成功し、1892年に同型の姉妹船が建造されました。

1885~1955年

1885~1955年 :

3隻目の霧の乙女号が登場。ホワイトオーク材の船体は21.5メートルにおよび、船長室はガラス張りでした。

1892年

1892~1955年 :

4代目の霧の乙女号がナイアガラ渓谷で活躍。この船体もホワイトオーク材で、全長27メートル、幅6メートル、パワフルな複動式エンジンが搭載されていました。

1892~1955年

1892年 :

合併により、ニューヨーク州ナイアガラ・フォールズが1つの市に。

1901年

1901年 :

アニー・エドソン・テイラーが樽による滝下りで初めて生還した人物に。同年、マッキンリー大統領がバッファローで開催されていたパン・アメリカン博覧会で暗殺されます。

1901年 :

第26代米国大統領セオドア・ルーズベルトが水しぶきの洗礼を受けました。

1901年
1938年
1938年

1938年 : 氷塊により2隻の霧の乙女号に危機

滝を落下した巨大な氷塊の激突を受けてハネムーン・ブリッジが崩壊し、冬季停泊地に係留されていた2隻の霧の乙女号にも危険が及びます。デッキが氷に埋まったものの2隻とも損壊を免れ、その年も何万人もの観光客に感動を与えました。

1949年

1949年 :

インドのジャワハルラール・ネルー首相が霧の乙女号に乗船。

1952年 :

マリリン・モンローが映画『ナイアガラ』の撮影中に霧の乙女号に乗船。

1952年
1955年
1955年

1955年 : 火災により2隻が焼失

1955年4月22日、観光シーズンに向けて整備中、溶接工が放った火花が2隻の船に燃え移り炎上。残念ながら船を救うことはできませんでしたが、残骸からわずかに再利用できるものがありました。商工会議所の責任者が木材の一部を回収して木製の硬貨型にくり抜き、「霧の乙女」を彫刻して観光客に配布しました。作製された3万8000個のうち、現在ではわずか40個が残っています。船主は「小さな乙女号」と名づけた全長12メートルのヨットでそのシーズンを乗り切りました。

1955~1990年 :

近代的な霧の乙女号がデビューし、観光客の注目の的に。全面鋼鉄製の20メートルの船体に、200馬力のディーゼル・エンジンが搭載されました。

1955~1990年
1956~1983年

1956~1983年 :

霧の乙女号IIが急流を豪快に進行。霧の乙女号Iと同型の全面鋼鉄製で、どちらも定員は101人でした。

1960年
1960年

1960年 : 滝に転落した男児を救助

7月9日、ジム・ハニーカットが姪のディアン・ウッドワードと甥のロジャー・ウッドワードと小型ボートで川遊びをしていたところ、エンジン・トラブルに見舞われて船が水没。3人とも水中に投げ出されました。ディアンはテラピン・ポイントの岸辺の近くに流され、観光客に救助されましたが、ジムとロジャーは推定時速120キロでカナダ滝から転落してしまいます。ここで幸運の女神がロジャーに微笑みます。ライフジャケット以外は救命具を身につけていなかったにもかかわずロジャーは生き延び、キーチ船長が舵を取る霧の乙女号に発見されました。救助に2度失敗した後、キーチ船長は船舶を旋回させてロジャーを救命浮輪に乗せ、無事に船に引き上げることができました。

1967年

1967年 :

ソビエトのアレクセイ・N・コスイギン首相が霧の乙女号に乗船。

1969年 :

浸食調査のためにアメリカ滝がせき止められます。

1969年

1971年 :

ジェームス・V・グリンが霧の乙女号運航会社の社長になる夢を実現。同氏のキャリアは、16歳の時に大学の授業料を払うために桟橋で働き始めたところから始まりました。

1972年

1972~1997年 :

210人乗りの霧の乙女号IIIが就航。全長20メートル、59トンで、250馬力のディーゼル・エンジンが搭載されていました。

1972~1997年
1976~2013年

1976~2013年 :

定員300名の霧の乙女号IVが登場。この新型船は全長22メートル、幅7.5メートル、67トンで、250馬力のディーゼル・エンジンが2基搭載されていました。

1983~2013年 :

霧の乙女号Vで乗客が心に残るスリルを体験。全長22メートル、重量67トン、全面鋼鉄製のこの船は335馬力のディーゼル・エンジンを2基備え、一挙に300人を運ぶことができます。

1983~2013年
1983年

1983年 :

ソビエトの政府高官で後に大統領となるミハイル・ゴルバチョフと駐カナダ大使のニコラ・イヤコブレフが霧の乙女号に乗船。

1987年 :

ヨーク公夫妻のアンドリュー王子とサラ・ファーガソンが霧の乙女号を満喫。

1990年

1990年~現在 :

霧の乙女号VIが就航。全面鋼鉄製のこの船の特長は、パワフルなエンジンと上下階のデッキです。全長24.5メートル、重量131トンで、350馬力のディーゼル・エンジンが2基搭載されています。

1990年~現在
1991年

1991年 :

ダイアナ妃がウィリアム王子とハリー王子ともに霧の乙女号に乗船。

1996年 :

ジミー・カーター元米大統領夫妻が霧の乙女号でクルーズ。

1996年
1997年~現在

1997年~現在 :

霧の乙女号VIIが就航。霧の乙女号VIと同型のこの船には最大600人が乗船できます。

2012年
2012年

2012年 : ニューヨーク州のクオモ知事が霧の乙女号を救済

12月4日、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事がニューヨーク州ナイアガラ・フォールズを訪れ、重大発表を行いました。

クオモ陣営と霧の乙女号側の合意により、同社がシェルコフ発電所の跡地の再開発に3200万ドルを投じる代わりに、その一区画を同社のアメリカ側2隻の冬季停泊地として利用できることになりました。

「霧の乙女号は貴重な財産であり、この地になくてはならないものです。州と観光のために活用したいと思っていた土地を停泊地に使うことは、ごく自然な決定でした」と、クオモ知事は述べています。